逸品館メルマガ バックナンバー 109

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逸品館ショッピングカートメルマガ 2009.2.07

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今日はすごく嬉しく、輝かしいニュースがありました。


前回のメールで「リストラ」について言及しました。同時に企業のリストラがあまりにも度を超しているので、「私が経営者なら仕事がなくても可能な限りリストラはしない。仕事がないなら、有給で会社を隅々まで掃除させる。それでも時間が余るなら、地域に貢献させるためボランティア活動をさせる。」そんなことを社員に話していたのです。無闇にリストラを行わず、有給で社員を地域に貢献させたら企業の好感度が上がり、後々地域住民の支援も得られると考えたからです(大阪弁で言うなら「損して元取る」です)。


それがなんと!実際に行われたのです。その姿勢・考え方は、素晴らしいじゃありませんか!企業として人のあり方として、尊敬します。日本人として誇りにすら思います。

にもかかわらず!私がチェックした範囲内では、この素晴らしいニュースを「トップに取りあげた」メディアは、皆無でした。同じトヨタ関連のニュースでは「最悪の赤字(3500)4500億円」の見出しばかりが目に付きました。


あいかわらずですね、マスコミは。この素晴らしいニュースこそ、今の「TOP」にふさわしいニュースのはずです。このニュースで心が明るくなり、勇気を取り戻す人がどれだけいらっしゃることか!勇気を奮い立たせ、後に続く経営者がどれだけ現れるかか!本当に嬉しくなってしまいました!!

メディアといえば、何度かメルマガでも紹介していますが、私が購読を続けている雑誌に「カー・グラフィック」という車関係の「ステレオ・サウンド」と呼べる雑誌があります。この雑誌もステレオ・サウンド誌と同じように、どんどん「堕落」を続け、最近特にドイツ系の外車ディーラーの提灯持ちのような記事が多く、特定のメーカーやディーラーとの結びつきが誌面から強く感じられる様になってきました。


特に3月号の「編集長のコラム」は、近年まれに見る「最悪の内容」ではないだろうか?とすら感じました。何が悪いのか?内容が暗い。暗すぎます。編集長が「車業界に未来があると信じたい。」なんて書いているようでは・・・。明るい未来は、じっと辛抱していればやってくるものではありません。自分たちが自ら作り出さなければならないのです。その立場にあるメディアの責任者が「未来を信じたい・・・」、こんな発言をして良いのでしょうか?間違っていませんか?こんなときこそ、お世話になった読者の方に、お世話になっている(お世話になりすぎている)車関係のメーカーに「ご恩返し」をするべきではないのでしょうか?絶対に独りよがりの分析を繰り広げている場合ではありませんよね。

車雑誌の話ではありませんが、最近同業者の間でも「いつになったら景気が回復
するだろう?」という話題が良く出ます。そんな時私は、次のように答えます。

 

景気が回復するかどうか?そんなことは問題じゃない。時代は流れ変化を続けている。特に最近は、情報伝達速度の向上に歩調を合わせてその変化の速度がものすごく速くなっている。景気が悪くなったのは、その象徴的な出来事に過ぎない。

重要なのは、変化を感じ、変化を認め、自分自身がそれに対応して変わることだ。どんな時代になっても、その流れに合うように自分自身を変化させ続ければ、必ず道は開けるし、明るい未来が見えて来る。現状を憂い、未来を憂い、後ろを振り返ったり、足元を見て立ち止まっている場合じゃない。今こそ、自分自身を変えなければ。企業として会社としての姿勢を正して行くべきだと思う。と。

 

話がすでに長くなっていますが、次号ステレオ・サウンド170号の広告のために
書いた文章をこのメルマガに掲載したいと思います。自分の主張が、なかなか上
手くまとまったと、その内容が気に入っています。もちろん!冒頭のニュースと
比べれば、全くたいしたことはありませんが。

オーディオという趣味

 

携帯電話やパソコンを使って音楽を聞く機会が多くなっている。i-podの流行も久しく、音楽の軽薄短小化は一度と後退することなく進んでいる。その潮流には逆らえず、オーディオ製品の多くもサイズが小さくなって専門店の店頭でもタンノイ・オートグラフのような大型スピーカーを見かけなくなった。さらにそこへ、「空前の不景気」が拍車をかけている。こんな市況で、昔ほどの勢いで高額な製品や大型の製品が売れるはずはない。変化こそ加速したが、これは自然の流れだろう。そして、あれほど売れていた「車」も沈滞ムードに陥った。

今までが売れすぎていた。という見方もできる。「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」という言葉を耳になさったことがあると思う。日本は狭い。最高速度だって時速100キロに制限されている。にもかかわらず今の車は、なぜあれほど大型で、なぜあんなにも重く、そしてそれに逆らうくらいの馬力があるのだろう?それは、なぜ必要とされたのだろう。冷静に考えればそれはすべて「無駄」なことである。「効率」を考えれば、車は小さく軽い方が良いに決まっている。安く作れるし、エネルギーの消費も少ない。オーディオも同じで、スピーカーなんて使わずにヘッドホンで音楽を聞けばよい。その方が、よほど「効率的」だ。

腕時計がクォーツになったとき「機械仕掛けの時計」の多くは駆逐され、斜陽産業となった多くのメーカーは潰れてしまった。しかし、百貨店の「時計売り場」には今、豪華絢爛な「高級時計」がずらりと並んでいる。しかもそのほとんどが「機械仕掛け」である。「効率」・「精度」の競争に一度は敗れ、消えつつあったはずの機械仕掛けの時計がなぜ蘇ったのだろう?

食べ物をすべて携帯食にすれば(それは不可能ではない)、食事時間は「数分」で済む。インターネットをさらに普及させ、通勤途中も携帯電話(携帯端末)で仕事をすれば、仕事の効率は大幅に向上できる。余った時間であなたは何をするだろう?もう一つ仕事を掛け持って、さらなる収入を得るのも良いだろう。しかし、そんな生活を死ぬまで続けられるだろうか?

私たちはロボットではない。心があり、自由を必要としている。私たちには意志があり、好き嫌いがある。そのささやかな「欲望」を満たすためだけに私たちは生きている。しかし「効率」を求められたとき、私たちは心を閉ざさなければならない。仕事を前にして、好きだとか嫌いだとか、今はやりたくないとか、そんな個人的な感情は許されないからだ。人が人らしく生きて行くために、個人は決して「効率」を求めていない。それが求められるのは、「集団を支配する側」の論理で社会が動かされているからだ。

集団に属し、社会継続のための労働は義務であり必然である。しかし、それを忘れ「趣味」の時間に生きる時、私たちは「効率」の呪縛から解き放たれ、緩やかな流れの中で自分の時間を取り戻す。誰にも束縛されることはない。仕事をしているときと、趣味に没頭しているとき、そのどちらが「自分らしいか?」答えは明らかである。高級時計のデザインに心動いた瞬間、アクセルを踏んで車が加速した瞬間、お気に入りのオーディオのスイッチを入れた瞬間、その一瞬に私たちは「自分」を取り戻す。短くても、それは確かな「趣味」の時間である。そういう「無駄」が、心を和ませる。「無駄」を楽しめるから、私たちは生きて行ける。

しかし、時計のねじを巻く動作、エンストしないようにクラッチを繋ぐ動作、レコードを傷つけないよう慎重に針を落とす動作、そういうかけがえのない「趣味の時間(大切な瞬間)」が利便性向上のための自動化や、デジタル化によって奪われている。「無駄」を一つ減らす毎、「趣味性」が一つ消えてしまう。高級時計はそういう「無駄」を積極的に取り入れることで蘇った。しかし、効率や利便性を何よりも信奉する「大企業」が生産する車や、オーディオからはどんどん「無駄」が取り除かれ「趣味性」が失われている。車は「権威」を示すためだけのものとなり、オーディオは「頭に音楽を詰め込む」ためだけの機械になっていないだろうか?

「趣味」という立場から見たとき、「安いから」・「スペックが高いから」・「便利だから」、そういう口上は全く意味を成さない。「新型はより性能が向上している」という言葉に踊らされてはいけない。趣味とは、「無駄」を知ることから始まる。もしあなたが、その「無駄」の中に「人生の意味」を見いだせたなら、それほど素晴らしいことはないのだから。

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