逸品館メルマガ バックナンバー 135

昨日から嬉しい4連休に入りましたが、大阪はお昼頃から秋雨でちょっと肌寒い感じです。天気予報によればこの天候は夜半から明日にかけて徐々に回復し、太平洋側では晴れ間が見られるということですが、日本海側では残念ながら連休中ずっと雨が残るかもしれません。天気図では日本海側と太平洋側は、まるで違う国のように天気が分かれています。


日本はそれほど大きくないと思っていたのですが、天気図と同じように地域によって「話し方」も随分変わります。有名な「方言」の一つに「大阪弁」があります。しかし、一般的に知られている「大阪弁」は、正しくは「河内弁」で本当の意味での大阪弁ではありません。本当の大阪弁は、松竹新喜劇で藤山寛美さんが喋っていたような柔らかい「旦
那衆」の言葉で、吉本の漫才師が喋るような品のない荒い言葉ではありません。

同様に私たちが知る「東京弁」も「標準語」に近く、本来の「東京弁」とは異なります。本来の東京弁は浅草の下町言葉(江戸っ子弁)ではないでしょうか?柔らかい「大阪弁」とこの威勢の良い「東京弁」の相性はなかなか良く、関西人と関東人が会話をするとぼけと突っ込みのテンポが程よく合い会話が弾みます。大阪人と東京人も言葉のみならず、人間的な相性も良いと私は感じています。

しかし、良い相性があれば悪い相性もあります。関西圏では「京都」の言葉があまり良しとされていませんが、実際に京都人の話を聞くと「なんでこんなにイケズばかり言い合うのだろう?」と大阪人には聞こえてしまいます。人間は決してイケズではないのに、言葉の問題で誤解が生じる。これは、軽い文化摩擦です。隣り合わせの大阪と京都ですら言葉で摩擦が起きるくらいですから、文化が全く異なる異国との間で生じる文化摩擦の大きさは、私たちの想像を大きく越えるでしょう。

国が変わり、言葉、生活習慣、食べ物などあらゆるしきたりが異なれば、それに対応し、摩擦を軽減するため、自分の中のスタンダードを変えて行かなければなりません。このようにして自分のアイデンティティーを変えるとき、「自己の喪失」を感じることがあります。自分を変えることでそれまでの自分が失われていくように感じる一瞬です。思春期に感じる「純真さの喪失」、中年で感じる「青春の喪失」、それらも自分の中でのスタンダードが年齢や経験によって変わるために生じるのではないでしょうか?

でも、考え方を変えることでそう言う「喪失感」をなくせると思います。新しいスタンダードの習得は古いスタンダードの置き換えによって起きる「引き算」ではなく、自分の本質を変えることなく新しいスタンダードを習得する「足し算」と考えれば良いのです。もちろん、時には二つのスタンダードが自分の中で矛盾を生むこともあります。しかし、それが怖い、耐えられないからといって、頑なに変化を拒む必要はないと思うのです。新たな知識や習慣、考え方を自分の中に柔軟に取り入れることが、自分の成長に繋がるはずだからです。この私の考え方が、古い拘りを大切にしながらも新しい技術を貪欲に取り入れてゆく逸品館の特徴にも繋がっているように思います。


自分の知らないジャンルの音楽を聴くときも同じ考えが通用します。好みが変わることを「マイナス」と考えるのではなく、新しい音楽で得られる新しい発見を「プラス」と考えるのです。このようにすれば映画や音楽は時として、素晴らしい自己啓発の切っ掛けとなります。そんな難しいことを考えて音楽を聴かなくても、音楽なら国籍や年齢性別の壁を超えて、誰にでも心が伝えられます。それが「芸術」全般に共通する、何よりの素晴らしさだと思うのです。

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