逸品館メルマガ バックナンバー 160

ゴールデンウィークも後、本日を残すだけとなりました。寒くぐずついた天気が多かった4月とは打って変わり、連休期間中は好天に恵まれ何よりでした。逸品館は残念ながら、連休中お休みできませんでしたが、連休明けの来週11日〜13日の3日間は毎年恒例の社員旅行へ全員揃って骨休めに出かけます。その間業務が停止し、ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご容赦下さいませ。

社員旅行中私は大好きな釣り三昧の後、釣り上げた魚に地元で調達した新鮮な魚介類を加え、それらを調理して社員全員のディナーをBBQ形式で振る舞います。新鮮な食材と気のあった仲間でわいわい食べるBBQは、皆も楽しみしている逸品館恒例のイベントです。

社員旅行のように全員が集まって移動するには、自動車が欠かせません。でも、今年は遂に「自動車を保有する社員の数」が少なくなったため、移動の脚の確保にレンタカーを手配することになりました。昔と違って都会に住めば車がなくても交通に不便はなく、「あまり使わない車は持ちたくない」人が増えた影響です。

私にとって車は単純な移動手段ではなく、「趣味」の一つとなっているくらい大の車好きなので、車のない生活なんて考えられません。ところが自動車運転免許を取得して間もなく読み始め、毎月楽しみにしていた車雑誌「CG(カー・グラフィック)」の最新号にCGが事業部ごと売却されたと書かれていました。

CGは「日本を代表するカー雑誌」でご存じの方も少なくないと思います。オーディオ雑誌に置き換えるならステレオサウンドに相当するでしょう。もちろん、オーディオと車という違いから、月刊誌で発行部数の多いCGをステレオサウンドに比べるのは、規模が逆で失礼に当たるかも知れませんが、業界を代表する専門誌という意味では同じです。その専門誌が「やって行けなくなった」という事実に、時代の流れとはいえ大きな寂しさを感じます。なんだか意地を張って頑張って買い続けてきた?力が抜けたような感じです。事業部の売却と同時に多くの社員が退職し、業界をリードしてきた紙媒体がこれからどのように変わってゆくのか?不安と興味が入り交じっています。

今回話題に取り上げたCGに関わらず情報の中心はインターネットに移り、出版不況・紙媒体は衰退してしまうと考えられがちですが、果たして本当にそうなるでしょうか?すくなくとも、私は違う考えを持っています。

CGやオーディオ雑誌が衰退しているのは、インターネットの隆盛と無関係ではありませんが、それとは別に「情報の質」に変化が生じたためであると考えています。インターネットは、「情報の量」と「情報伝達のスピード」を飛躍的に向上しました。また、紙媒体にはなかった「音声や動画」の配信も可能となりました。そして生まれたのが「掲示板」や「動画投稿サイト」、「ツィッター」という「即時性」や「双方向性」が重要とされる新たなメディアです。知りたい事を「すぐ知ることができる」。好奇心が強い人間の「夢を満たせる」願ってもないメディアが生まれたのです。インターネットの普及で情報伝達の利便性はかつてないほど向上したのは間違いありません。


しかし、私は人間の考えは思いついた事を「練り上げる」ことで深みを増すと考えています。手紙を書くと考えが整理されるのと同じで、考えを咀嚼するように繰り返すことでその考えが消化され肉になると思うのです。しかし、その間に「情報を吐き出してしまえば」、伝達したという「安易な達成感」から考えるエネルギー(集中力)が奪われます。あるいは、インターネットの「豊富な情報」により、疑問がそれなりに解決してしまった結果、「安易な知的好奇心の充足」が得られ、やはり物事を深く考える力が奪われるでしょう。「考えるだけで分かってしまった」。そういう感じ方が、最も危険だと思います。深く考える力や集中力が不足した結果、妄想が暴走してしまったり、生きるために欠かせない「未来を夢見る力」が奪われかねないからです。

 

人は「夢や希望」がなければ生きて行けません。だからこそ、安易に「夢」を叶えてくれるインターネットが危険だと考えるのです。また、手の届かない「夢」をあたかも手が届く「希望」に変えてしまうのも危険です。現実離れした妄想で行動を起こせば、人生に取り返しが付かないミスを引き起こすからです。夢はそれほど簡単につかめるものではありません。インターネットの成功談の裏側には、遥かに多い失敗談が隠れています。そして人は、失敗した事を語ろうとはしない生き物です。


話を紙媒体の衰退に戻します。情報は、音声や動画がなければ正確に伝達できないのか?音声や動画がなく、伝達スピードの遅い紙媒体は売れないのか?決してそんな事はないと思います。最近のベストセラー「ハリーポッター」や「1Q84」は、ただの文字の羅列(小説)にも関わらず、相当数の売り上げを記録しました。読者の年齢も幅広く、決して年配の人だけが購入したわけではありません。この成功が、紙媒体には「紙媒体の未来がある」事を証明します。それでも専門誌は、衰退の一歩をたどっています。原因は求められる「情報の質(内容)」の変化に追従していないからです。

新製品のニュースのような「広告に近い記事」は、即時性が求められます。この場合、メーカーと雑誌社もしくは評論家が密接な協力関係を持たなければ、紙媒体は速度でインターネットに敵うはずがありません。しかし、逆にメーカーとメディアがあまりにも密接になりすぎるとニュースの内容が損なわれます。

初期のCGと今のCGの違いもまさにそこにあります。昔の評論家(現在も現役の方も少なくありませんが)は自腹で車を買い、それを使い込むというマニアとまったく同じ楽しみを謳歌していました。その上で彼らは、評論家という立場からマニアとは比較にならない豊富な情報をメーカーや同好集団から得られるのですから、彼らの書く記事が面白くないわけがありません。彼らの書く記事には、「マニアの確かな夢」が感じ取れ、代価に値する価値が認められたのです。まるでメーカーの作ったカタログを見ているような新製品ニュース、それが今の専門誌の内容です。それでは、お金を払って買う価値は生まれません。

今の専門誌に「夢」はあるでしょうか?代価に値する「喜び」が得られるでしょうか?確かに商品(車やオーディオ)が多くなりすぎ、また高価になりすぎ、逆に評論家のサラリーが下がって買えなくなってしまったという不幸な事情があるにせよ、今の専門誌には「夢や喜び」がなさ過ぎると思いませんか?

紙媒体の衰退を興さないための答えは簡単です。インターネットの普及で「情報」の価値は低下し、つまらない情報は金銭を支払って購入する必要はなくなりました。しかし「夢」の価値はいささかも下落していません。ハリーポッターや「1Q84」が売れるのは、それらが「夢」という不変の価値を持つからです。趣味の製品は「買う」ことより「使いこなす事」で、より大きな喜びが得られます。専門誌は、積極的に「使いこなす喜びの提供」を行う事で価値を復活できるはずです。

試行錯誤を繰り返しながら、何かを完成させて行く。イメージを膨らませ、目の前の事象から現実をより正確に把握するトレーニングを積む。趣味なら、それを喜びとし成し遂げられます。そして、それこそが道楽とは違う趣味のとても大切な一面です。もちろん、それはインターネットが登場してからも決して変わる事はありません。インターネットと正しく付き合えれば、夢や希望はより大きく広げられます。要するに使い方次第という事ですがそのためには、インターネットから得られた情報を現実とすり合わせ、深く考える事で自分を成長させることが大切です。

オーディオは音を聴かなければわからないし、音を聴かなければ何も得られないのです。いよいよ!今月21日〜23日に迫った、ハイエンドショウ東京2010春の逸品館のブースに「音を聴きに!」ぜひお越し下さいませ。
http://www.hi-endshow.jp/

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