逸品館メルマガ バックナンバー 171

私事で恐縮ですが、自家用車を初めて外車へと買い換えました。景気の低迷で中古の外車が値下がりし、乗っていたCIVIC TYPE-R(FD2)が製造中止などの影響で下取りが思ったよりも高く、追金が少くすんだのでBMW 135iに買い換えることが出来ました。

外車を所有したことがなかった理由は、「国産に比べ高いこと」、「故障が多いと聞くこと」、「修理代が高いこと」など、主に「コスト」的なマイナス要因です。輸入インポーターがやけに強気で、価格設定が高めなのも気になっていました。しかし、先に書いたように景気の低迷から抵抗感のあった価格が中古市場の値崩れで安くなっり、外車デビューとなりました。

CIVICは悪い車ではなかったのですが、ノーマルサスペンションがあまりにも硬すぎました。堪らずHONDA 純正の可変ダンパー式サスペンションに変えたにもかかわらず、それでも乗り味があまりにも強烈で、自分が求めている乗り味とのギャップが大きすぎたのです。確かにCIVIC TYPE-Rが元々「サーキットを速く走る」ことを目的に作られた車だということは承知でした。その文句は偽りではなく、山道を全開で走れば反応はすさまじくリニアで、まるで手足のように振り回すことが出来て「すごい!」車でした。


私はレーシングカートのレースを趣味にするほどの「走り好き」ですが、CIVIC TYPE-Rはあまりにも尖りすぎです。こういう車もありなのでしょうが、性能を追求するとしても、公道での快適性を完全に犠牲にするのは「物作りの姿勢」としておかしいと感じます。そこでHONDAが作った最も新しいスポーツカー、ハイブリットの「CR-Z」も勉強のために試乗してみました。


CR-Zは通常の運転でよく使う速度の40-80Km/hでは、モーターの補助が上手く働き、なかなか機敏な動きをします。パワー感もそれなりにあります。しかし、気になるのはそのドライバビリティーです。フィーリングが「人工的」と言い換えた方が良いのかも知れません。確かにモーターとエンジンの連動を上手く使い、限られた能力を引き出す面白さはあるのですが、「車を運転する、操る」という基本的な部分に置いて車との密着感が薄すぎるのです。まるでテレビゲーム越しに車の運転を楽しんでいるような、危険のない世界で危険なことをしているような、なんだか不思議な気分です。これが新しい車の乗り味の世界であなたは古いと言われれば、そうなのかも知れませんが、車と人との接点に常に「機械(コンピューター)」が介在する、不自然な雰囲気は私の求めるものではありません。


しかし、CIVICのように全走行距離の1%にも満たない喜びのために快適性をすべて捨てられると辛いです。また、一般道で全開走行をするのはあまりにも危険すぎます。結局、CIVICではドライバーが車の性能を生かし切れず、CR-Zは、コンピューターが邪魔をする。HONDAはなぜこんな両極端な、尖ったスポーツカーしか作れないのでしょう?

買い換えたBMW 135iは300馬力を超えるハイパワーエンジンを積み、加速はCIVICよりも速く、スポーツカーで有名なポルシェにも匹敵するほどです。しかし、その早さを「余裕」として感じさせる様にチューニングされています。町中での乗り心地はスポーツカーらしくやや硬目ですが、CIVICのように不愉快ではありません。高速では段差で車が跳ねたCIVICですが、BMWは望んでいたフラットな乗り味で長距離を走っても疲れません。排気音も普通より若干大きいですが、車内騒音は上手くカットされ速度を上げても充分に静かです。他を犠牲にしてまでも一部を尖らせたCIVICに比べ、BMWのチューニングは統一されています。ドライバーが車の性能を必要とするときにそれを存分に引き出せる「黒子」のような形に「性能」が使われ、圧倒的な早さと操縦安定性の高さを「秘められた力強さ」と感じさせ、飛ばさなくてもその魅力は十分ドライバーに伝わります。力を感じながら、それを使わずにゆっくりと走るのは快感です。


BMWから伝わるフィールは常に「あなたが車を手足で直接操っている」いうダイレクトなものです。もちろん安全のために電子制御も使われているので、CIVICほどのダイレクトさは感じられませんし、タイヤのロードノイズ、ギアノイズ、エンジンの機械的なノイズなど、人が不快に感じる部分の情報は可能な限り除去されていますから、フィーリングは薄くなっています。しかし、それでも不必要な不快感(騒音とか振動)を濾過した後に残るダイレクトさの演出が見事です。この135iの発する「言語」を理解できれば、まるでレーシングカートに乗っているような「熱い気分」で車を操れます。


一番驚かされたのは「エンジン音チューニングの匠さ」です。最初は排気音が少し大きすぎて耳障りに感じたのですが、数日乗っているとアクセルワークとエンジン音が見事に呼応し、まるで「有機体(生き物)」に乗っているような錯覚を覚えるほど「その音」が心地よくなります。音にうるさい私を唸らせるその「音の演出」は見事と言うほかありません。そしてエンジン音は「アクセルを意識的に踏んだ時だけ」に聞こえ、巡航時にエンジン音は聞こえません。

一般に欧州車は日本車より重くできています。重い車はフィーリングが良くないと決めつけ、軽いという意味でもこれまで国産車を選んできました。しかし、高速を飛ばすとき、深い水たまりを走るときに「重さ」は悪いばかりではないと知りました。重さが安心感を生むのです。135iは決して大きな車ではありません(CIVICよりも小さい)が、体感する適度な重さに加え機械的な「精度の高さ」も上手く演出され、重厚な高級感を感じさせます。

 

その上、CIVIC TYPE-Rのように限界速度で走ることなく、停止から静かに発進する一瞬にも楽しさが感じられるのです。135iからは、作り手がドライバーへ届く情報を上手く整理して車を作っている様子、車という商品への理解の深さが伝わってきます。それに対しHONDAの車は「机の上で作ったまま、製品化された」様に感じられます。日本のオーディオ機器も同様に「深さ」が足りないように感じられることがあります。どうして日本の企業は物作りの視野が狭く、技術先行になってしまうのでしょうか?それは彼らが営業優先で目に見えやすいカタログの文句を優先しすぎているからかもしれません。

BMWへ買い換えてから一週間程度しか経っていないので「熱」が冷めていないこともありますし、当然故障などのネガティブな問題を経験していないので、評価はかなり甘めだと思います。それでも車に乗る度に、買い換えて良かったと実感出来る車でした。中古で安いからと買った車ですが、一度乗ってみると高すぎると思っていた「新車価格」も充分な価値があると感じられるようになりました。

職業として長く「オーディオ」に触れていると、商品としてのコストパフォーマンスを追求し「無駄に高いもの」を敬遠するようになってしまいます。そんな時、自分の趣味の買い物を通じ「趣味」としての側面を思い出すことで、オーディオを再びお客様の視点から見られるようになります。今回の車の買い換えは、感覚がオーディオと一致する部分も多く、高級車?を買ったことで高級オーディオの価値観を新たにすることが出来ました。

それを具体的に説明しましょう。例えば、最高速度が時速100キロに定められている日本の道路状況では、100万円程度の軽自動車と1000万円を超えるベンツの「移動時間」は変わりません。贅沢するとしても、数百万円も出せば快適性・安全性に問題ない車が買えます。コストパフォーマンスを考えるなら、高い車は不必要です。オーディオもそれは同じで、せいぜい数十万円も出せば実用十分な音質の音楽再現システムは購入できます。

では、1000万円を超えるような車やオーディオ製品の価値をどのように正当化すればいいのでしょう?それは製品がもたらす「フィーリングの豊かさ」だと思います。自分自身が求めるフィーリングに答えられる物作りがなされているかどうかが、重要なポイントなのだと思います。

BMWの走行性能の高さは明らかに「行き過ぎた能力」ですが、それを「無駄」と感じさせず巧みに「余裕」や「深み」として感じさせるフィーリングを持っています。しかし、国産車や家電品では、過剰性能や多機能が「余裕」や「深み」に昇華しないばかりか、時には「邪魔」にすら感じられます。車と家電製品を比べるのは見当違いかも知れませんが、私が求める「趣味性」への答えはこの部分の違いに集約できると思います。

今流行の「PCプレーヤー」に「趣味性」が感じられるかどうか?従来のプレーヤーが持っていたような「趣味性」を獲得できるかどうか?その答えも同じです。「無駄」と「贅沢」は、紙一重ですが明らかに違います。


70-80年代のソフトを聴き直して見ましょう。最新の音楽よりも「豊かさ」が感じられることがあるはずです。結局、「芸術」や「文化」、「物作り」の価値観の行き着くところは「愛(情の深さ)」です。「愛」の定義と深さが変わらない限り、私たちが求める「趣味性」も変わらない、変えてはならないのではないでしょうか?


「愛」は、目に見えません。それは、製品を使ったときに「フィーリング」として伝わります。「フィーリング」という「目に見えない価値」を持つ商品の良さを文章やインターネットで伝える難しさを痛感します。もちろん「趣味性」や「価値観」は人によって大きく変わりますから、どちらを絶対と決めつけるつもりはありません。車の買い換えを経験して、私自身がオーディオ市場で古い価値観を壊して新しい市場を形成しようとしながらも、結局は古い価値観から抜け出せず、昔から変わることのない懐古的な価値観を再確認しているように思えたのです。

ケーブル一本、ラックを変えるだけでもオーディオセットの「フィーリング」は大きく変わります。お金をかけたくないなら、コンセントを挿す順序を変えるだけで音も映像も改善します。試行錯誤を重ねながら自分の求めるフィーリングを作り出す情熱、それに近付く喜び、そして「音楽」や「映画」と一体となれる感動。それがオーディオ・ビジュアルを趣味とする「楽しさ」であり「喜び」です。それを探す時間を作り、前向きに毎日を充実させること。それはとても大切です。

メールマガジン バックナンバーのホームメニューへ戻る

お買得情報・商品情報はこちら!(ippinkan.com)

ippinkan.com