音質のバランスを改善し、音楽的感動をより大きく引き出す方法は、システムやその環境に応じて千差万別、二つと同じ方法はないと断言しても差し支えないほどです。その上「音の好み」も誰一人として同じではありません。
最初は「人まね」から始めるのが妥当ですが、最終的には「自分なりの方法」を編み出さなければなりません。
私は「楽器」をプロ演奏家のように巧みに操り演奏することは出来ませんが、「楽器の音を聞き分ける力」は、多くのプロ演奏家よりも長けています。私にとっての楽器は「オーディオセット」であり、私はそれを上手く「演奏」できます。
時々、楽器を演奏できるから「上」、あるいは現場で音楽を作っているから「間違いがない音を知っている」という、安易な考え方を耳にすることがあります。私も過去そのように考え、現場と全く同じ音を自宅で再現することが「オーディオの目的」だと勘違いしていたことがありました。
しかし、今はハッキリとその考え方が「間違っている」と断言できます。
例えば、演奏した本人がオーディオセットを使って「自分の演奏と全く同じ音を再現」することに成功したとしましょう。もし、あなたがその音を「演奏現場」で実際に聞き、そしてその「再演奏」も聞いたとしましょう。断言しますが、双方の音は「少なからず違っている」はずです。
同じ演奏を二度と繰り返すことが出来ないように、録音した演奏を全く同じに再現することは不可能です。なぜなら、人間はその時の気分で「自分の聞く音」を変えてしまうからです。人間の気まぐれが「その時の音の好き嫌い」に強く反映します。人間の気持ちは移ろい、変化を続けます。それを「成長」と言うのであれば、あなたが聞く音、聞きたい音もどんどん成長を続けます。
あるとき「素晴らしい音が出てこれでもう良い!」と思っても、時が過ぎると「もっといい音が聞きたくなる」のは、あなた自身の感性が「成長」しているからです。また、「昔自分が出していた音(昔の自分の演奏)」を聞いたときに、当時の自分や自分を取り巻く環境を思い出して懐かしく感じることがあるかも知れません。
「オーディオセット」を演奏することは、あなた自身の「内面」を見つめることです。オーディオファンは楽器を演奏できないかも知れませんが、オーディオ機器を駆使して「過去の名演奏」あるいは「お気に入りの音楽」を演奏します。その演奏が「あなたそのもの」の音なのです。
録音を再演奏するとき、音が変わります。音が変われば音楽の本質が失われるのか?あなたが再演奏した音楽は「演奏家のものではなくなるのか?」。それを憂う方がいらっしゃいます。もし音楽家が自分の「考え」を音楽で表現したいと考えるなら、演奏ではなく「演説」で行うべきです。
もし同じ生演奏を「繰り返し聞くことが可能」だとしても、その時の自分の気分で聞こえる音は変わり、違った音楽に聞こえるでしょう。なぜなら、演奏された音楽の「解釈」は演奏家にあるのではないからです。音楽の解釈は、常に「音楽を聞く人の内側」にあるのです。それでも演奏家が「自分の音楽の解釈を誤解されたくない」と考えるなら、私は「演奏を行うべきでない」と考えています。自分のために演奏をすればよいのです。それを「人に聴かせる必要などない」のです。自分の音を出し、自分で聞き、完結すればよいのです。
著名なピアニスト「グレン・グールド」はライブを嫌い、演奏活動の後期はスタジオにこもり、一人で演奏を行いました。演奏中に「聴衆の心」によって、グールド自身の心が乱れることを嫌ったからです。それでも彼は演奏を続けました。それは「誰かに聞いて欲しかった」からではないのでしょうか?喜怒哀楽、すべては自分以外の人との触れ合いから生まれます。それがどんなに小さくとも、人と触れ合うことによって生まれる「絆」が私たちの生きるエネルギーであり、唯一の生きる目的です。
音楽は「音によって心を繋ぐ芸術」です。そのままでは消えてしまう言葉が「書籍」と言う形で残せるようになったのと同じように、私たちは「録音」と言う形で消えてしまう演奏を残せるようになったのです。時空を越え、その素晴らしさに触れることが出来ることを、私は素晴らしいと思います。そして、一方通行で完結する「書籍」と異なり、オーディオセットでそれを再演奏することで、私たちは「時空を越えてその演奏に参加する」ことさえできるのです。
演奏家が「楽譜」を演奏するように、私たちは「録音」を演奏します。オーディオセットで音楽を演奏することで、その録音(演奏家)と自分自身への理解を深めることが出来るのです。私たちが成長を続ける限り、それは永久に続きます。こんな素晴らしい「芸術」が、オーディオ以外にあるでしょうか?
音楽は曖昧だからこそ素晴らしく、曖昧だからこそ「少々音が変わった」くらいで、その本質を失うことはありません。しかし、音楽を感じられない「心ないオーディオマニア」や「オーディオエンジニア」が大きく音を変え、バランスを崩してしまうと、時として音楽は致命的なダメージを受けてしまいます。「感動」の本質が失われるのです。
残念ながら、音や音楽は曖昧なので「そのダメージ」がどのようなものか?言葉に置き換えて伝えることが出来ません。しかし、オーディセットの音質調整を行った後、「日頃聞いている音楽が楽しく聞こえなくなった」とか「長時間聞いていると疲れる」、あるいは「特定の楽器(あるいはボーカル)」が妙に心地よく聞こえるようになった、などと感じられたら「赤信号」です。このツィーターはよい!このアンプはよい!などと特定の機器の音に「惚れてしまう」のも、「赤信号」です。このコラムの最初に書いたように、本当によい音楽とは「どこから聞こえてくるのか?」、「どれが鳴っているのか?」わからないほど「上手く混ざっている」ものなのです。